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いとや歴史上初の女性職人

提灯職人・小島まりや

短大卒業後、病院の調理師となるが、25歳で提灯職人に転職。その後、結婚・出産を経て3児の母に。
育児と両立しながら提灯を手がけるほか、事務全般や広報も担当している。

調理師から提灯職人に。父を助けたい一心で決意しました。

25歳の時に、病院の調理師から転職しました。父が祖父母の介護をしながら仕事をしていたので「このままでは父が倒れてしまう!」と思ったことがきっかけです。父は反対でしたが、とにかく父を助けたかった。安定した仕事からの転職は勇気がいりましたが、もともと物づくりが好きだったので抵抗はなかったです。

絵付けから始めて、次に骨組みを覚えました。和紙を貼る時に霧吹きで湿らせるのですが、力を入れすぎると薄くなるので加減が難しい。父には『感覚やで体で覚えるしかないわ』と言われました。父は『まりやは物づくりが好きで素直だから、教えやすい。素直であることは人間として一番大事だ』と言ってくれます。

提灯製造は分業制が多いのですが、いとやは一貫製造です。そのため覚える仕事も多く、父のすごさを実感しました。提灯職人になり10年以上が経ちますが、一度も喧嘩したことがありません。父にアドバイスをもらいながら提灯づくりに励んでいます。

私がいとやに入ったころ、経営上は窮地に立たされていました。けれど、父と娘で力を合わせ、いとやを守り抜きました。だからこそ今があります。父は自分で『働きバチだった』と振り返りますが、『正直者はぶれない』という信念で無我夢中で働く父の姿を見てきたので、親子、師弟関係以上の絆があります。

職人として、3児の母として。
創業230年の「いとや」を守り育みたい。

提灯職人となり、人生が180度変わりました。いとやは江戸時代に創業し、200年以上の歴史がありますが、それを知ったのは提灯職人になってからです。大変なことも多いですが、さまざまなことに挑戦できるので楽しいです。

この10年で結婚・出産し、子供が3人います。産後はすぐに仕事に復帰し、赤ちゃんを横で寝かせながら仕事しました。夕方に保育所に迎えに行き、いとやに戻って、それから自宅に帰り家事育児を済ませ、繁忙期には子どもが寝てから仕事に戻ることもあります。前職ではたった10分の残業も嫌でしたが、今はやりがいが大きく、夜中まで夢中で働いています。

子どもたちが「大きくなったら提灯職人になる」と言ってくれます。私が小さい時は、提灯づくりは地味なのでやりたいと思いませんでしたが、子どもたちが大きくなるまでに華やかな職業に変えたい。提灯づくりの魅力が伝わる工房や働きやすい環境を整えることが私の新たな目標です。